江東天祖神社には話題が多いです。
例大祭の流鏑馬神事に珍しい獅子頭神輿。創建は推古天皇御代に遡り、聖徳太子の作と言われる御神体が祀られている・・・。
さらに、落語「ぞろぞろ」や樋口一葉「たけくらべ」の舞台になった「太郎稲荷(不思議な霊験のあるお社)」があるという。
この古い神社は一体どんなところなのか、その謎を探ってみました。
境内の写真と共にご紹介します!
江東天祖神社の基本情報
名称 | 砂原神明宮 江東天祖神社 |
住所 | 〒136-0071 東京都江東区亀戸3丁目38−35 |
電話番号 | 03-3681-3042 |
最寄駅 | 東京メトロ半蔵門線・京成押上線・都営浅草線押上駅、JR総武線亀戸駅、JR総武線・東京メトロ半蔵門線錦糸町駅 |
拝観時間 | 境内は24時間立ち入り可能、社務所受付は9時〜17時 |
ご本尊 | 天照大御神、福禄寿 |
公式ホームページ | http://www.tensojinja.com/ |
御由緒
「天祖神社」とは天照大神を主祭神とし、伊勢神宮を総本山とする「神明神社」の別名です。
江東天祖神社は、古くは柳島総鎮守神明宮と呼ばれていました。
創建はなんと1400年前、推古天皇御代(592〜628)と言われます。
御神体は厩戸皇子(聖徳太子)作の御神像とのこと。
この辺りは昔は小さな島が集まる一帯で柳島もその一つでした。大地震・大洪水の被害もしばしば。
被害で社殿が崩壊するも戦乱の世ではなかなか修復されませんでした。
大永年間、龍眼寺を開山した良博和尚が夢のお告げにより、龍眼寺創建と共に江東神社の再建をしたとされています。
龍眼寺は江東天祖神社の別当寺(神社を管理する寺)ともなりました。
江東天祖神社の行事
江東天祖神社の年中行事では「流鏑馬」や「団子まつり」など、面白いものが多くあります。
また、毎年9月の例大祭では立派な神輿が出ますが、中でも「雌雄獅子頭神輿」は圧巻です。
これらの特徴的な行事について詳しく見ていきましょう。
流鏑馬
江東天祖神社の大切な年中行事の一つに「流鏑馬(やぶさめ)」があります。
「流鏑馬」とは、疾走する馬の上から鏑矢(かぶらや)で的を射る古式弓馬術です。
古くは飛鳥時代から遡れますが、神事としては6世紀中ごろ欽明天皇が執り行ったものとされています。
なぜ江東天祖神社で流鏑馬が執り行われるようになったかと言いますと、天正年間(1573〜1592)に疫病が広がったため、織田信長が使いを送り奉幣し、疫病退散を祈願し流鏑馬を奉納したところ霊験が現れた(疫病退散のご利益があった)ためその後恒例神事となりました。
以来、天祖神社は疫病除けとしても親しまれています。
現在は境内に十分な馬場を取れませんので「子ども歩射(ぶしゃ)」という形態で行われております。歩射は馬上からではなく的の前に立って矢を放つ方法です。
毎年9月の例大祭の折には、子ども達が装束を身に纏い、小さな身体で勇ましく弓を射る姿が見られます。
江東天祖神社例大祭 神明まつり
※本まつりは5年に一度
獅子頭神輿
江東天祖神社には「雌雄獅子頭神輿」が安置されています。
雄は高さ170cm、雌は150cm。台座は共に137㎝四方(四尺五寸)の大きさになります。
関東大震災を受けて、火伏せ災難除けのため、氏子780名の寄進により製作され、東京大空襲の災禍も免れ今に現存しています。
そのインパクトあるお姿とご利益から江東天祖神社のシンボルとされ、御朱印帳の表紙の図柄にも採用されています。
獅子頭神輿の様子がわかる動画です。
※現在は痛みが激しいため担がれないことがあるようです。
団子祭
神さまに団子をお供えし、自らもいただく「団子祭り」は全国各地にあります。
江東天祖神社の団子祭りは5月に行われ、境内で団子まつりの御朱印が行われ団子が振る舞われます。
団子の食べ方に特徴があるのでご注意を。
自ら箸をつけるのではなく、家族や友人など、「人から人へ」食べさせてもらうのが慣わしとなっているそうです。
ここには「町内・家内が円満で共に栄えること」を祈る気持ちが込められているのです。
素敵ですね!
防災社殿
江東天祖神社は何度も災害に見舞われ、社殿の荒廃と再建を繰り返しています。
現在は昭和2年に再建されたもので、大正12年(1923年)の関東大震災の被害を経て、外装を鉄筋コンクリート造りとしました。内部は総檜造りになっています。
鉄筋コンクリートの神社はそれまで存在せず、反対意見も多かったようです。
確かに木のほうが生命と直結し、神が宿るような気がしてしまいます。
ですが、損壊と修復を繰り返した歴史があるからこそ「防災」の意識が強く、日本最初の「防災社殿」となりました。
昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲では江東区一帯は火の海となり、多くの死者を生む被害となりましたが、この社殿は鉄筋コンクリート造りだったため被害を免れ、数百人の命を救うことになったとのこと。
以来、神田明神や浅間神社など、他の神社でも鉄筋コンクリート造りを採用するようになりました。
境内には戦争被害者のための招魂碑が建てられ、復興記念碑も建立されました。
太郎稲荷大神
江東天祖神社内にある太郎稲荷大神は、樋口一葉「たけくらべ」や落語「ぞろぞろ」に出てくる神社として各所で紹介されています。公式ホームページにも記載が見られます。
正確には、「たけくらべ」や「ぞろぞろ」の舞台になった太郎稲荷とは、柳川大名立花家の下屋敷にあった守護神だったのを、江戸末期に天祖神社に移されたものということです。
「ぞろぞろ」に出てくる稲荷神社は「浅草田んぼ」にあるとの描写があります。
実は台東区入谷2-19-2に「太郎稲荷」があるので、正確な舞台はこちらなのではないか?と思われましたが、どうやらこちらも分社のようです。
そもそも落語の噺自体は土地がどこでも通じる内容で、噺家が様々に解釈を加えて”まくら”で話したりアレンジしたりして、江東天祖神社の太郎稲荷を舞台とする説がいつの間にか通説になったのではないでしょうか。情報というのは人の口を伝って変化していくものですものね。
ちなみに永井荷風の随筆「里の今昔」に「太郎稲荷の森」という言葉が出てきます。
辻を曲ると、道の片側には小家のつづいた屋根のうしろに吉原の病院が見え、片側は見渡すかぎり水田のつづいた彼方かなたに太郎稲荷の森が見えた。吉原田圃はこの処をいったのである。裏田圃とも、また浅草田圃ともいった。単に反歩たんぼともいったようである。
永井荷風「里の今昔」 青空文庫
江東天祖神社の太郎稲荷も「森」と言えるほどに木々に囲まれております。
太郎稲荷がどこであろうと・・・「太郎稲荷大神」のご霊験はすごいらしい!
流行り廃り(?)があるらしく、廃れている時期の方がご利益があるとのこと。
今がチャンスかもしれません(笑)!
亀戸七福神福禄寿
江東天祖神社は亀戸七福神巡りの福禄寿を安置しています。
手水舎のすぐ後ろに立派なお堂が建てられています。
余談ですが、手水舎も素晴らしい造形です。
福禄寿は頭が長く耳たぶが大きいのが特徴で、健康長寿・福徳円満などのご利益があります。
お正月期間も、尊像のご開帳はありませんでした。
亀戸七福神は1時間半ほどで回れてしまうコースなので、街歩きにおすすめです!
おわりに
江東天祖神社は亀戸柳島地区の総鎮守で、推古天皇御代からこの土地を護っている・・・と最初に聞いた時は一体どんな神社なのか、興味が尽きませんでした。
実際に足を運んでみると、「鎮守の杜」と呼ぶにふさわしく、木々が生き生きとこちらに語りかけてくるようでした。
こういう場所に来ると、どんなに歩き疲れていても一気にテンションが上がります!
また、この神社を特徴づけるもう一つは「石像群」です。
中でもたくさんの童子像が目につき、すぐに気になると思います。
この童子像は全部で46体あるのだそう。
童子像を全部見つけてみる・・・なんていう楽しみ方もいいかもしれませんね!
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