【池袋 雑司ヶ谷鬼子母神堂】古き良き地元に愛される天女・そして妙見さん(雑司ヶ谷七福神)

東京で七福神関連の神社・寺
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「江戸三代鬼子母神」に数えられる雑司ヶ谷鬼子母神は、「地元に愛されている」という空気感がたまりません。

樹齢700年を超える大銀杏に迎えられ、数々の史跡や、重要文化財に指定される見事な建築などが楽しめます。境内には駄菓子屋さんやお団子やさんがあり地元の親子連れで賑わいます。

また、お祀りされている「鬼子母神」がとても風変わりな神さまなのです。
子どもを失った悲しみから悟りを開き子育ての神となった女神で、お子さんをお持ちの方はシンパシーを感じるかもしれません。

やはり「鬼」がつく場所は不思議な逸話が多いです。

雑司ヶ谷鬼子母神堂では妙見大菩薩もお祀りしており(裏に妙見堂があります)、東京で北斗七星の結界をつくっています。呪術的な場所でもあるようです。

掘れば掘るほど面白い、この風変わりな異界の寺を詳しく見ていきましょう!

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雑司ヶ谷鬼子母神の基本情報

名称威光山法明寺 鬼子母神堂
住所東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
電話番号03-3982-8347
最寄駅都電荒川線「鬼子母神駅」、東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」
ご本尊鬼子母神、妙見菩薩、不動明王、大黒天、倉稲魂命
公式ホームページhttp://www.shingyoji.or.jp/
雑司ヶ谷鬼子母神の基本情報

ご由緒

雑司ヶ谷の鬼子母神は、永禄4年(1561)に清土(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を、天正6年(1578)に現在の場所に堂を建てて安置したことにはじまる。
寛永2年(1625)には社殿の造営が始まり、正保3年(1646)には宮殿が寄進された。
江戸時代前期から将軍の御成りがあるなど、武家から庶民まで、子育て・安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参詣者が訪れている。

境内の案内板より
ふくみみ
ふくみみ

鬼子母神像の霊験が素晴らしかったため、僧が地元に持って帰っちゃったら、逆にバチが当たって病気が流行ったそうです。それでまた雑司ヶ谷に戻され手厚くお祀りされたそうです!

鬼子母神とは

鬼子母神とは・・・

王舎城の夜叉神(鬼神・阿修羅神・金剛力士の本姿)の娘
また毘沙門天の八大夜叉大将の一人・半只迦(パンチカ)の妻

元の名前を「訶梨帝母(かりていも・ハーリーティ)」という。

500人あるいは1000人ともいわれる子を産み育てるため、人間の子をとって食べていたため人々から恐れられていた。

釈迦は訶梨帝母を改心させるため一番可愛がっていた末の子を隠したところ、訶梨帝母の嘆きは激しく、自らの過ちを悟り安産と子育ての神となることを誓い、鬼子母神となった。

ふくみみ
ふくみみ

子どもを食べられたお母さんの苦しみや悲しさが身をもってわかったんですね!

雑司ヶ谷鬼子母神堂に安置される鬼子母神は鬼ではなく聖母の姿をしている(天女像)ため、表記は「鬼」の角の部分を取っているとのことです。

鬼子母神像には鬼形をしたものもあり、こちらは「破邪調伏」を意味します。

鬼子母神石像
鬼子母神石像。「鬼形」とされる。

\「鬼子母神のお父さんの夜叉神は金剛力士の元の姿」?/

雑司ヶ谷鬼子母神仁王像(吽形)
仁王像(吽形)
雑司ヶ谷鬼子母神仁王像(阿形)
仁王像(阿形)

重要文化財(本堂)

雑司ヶ谷鬼子母神本堂(重要文化財)
本堂

雑司ヶ谷鬼子母神の本堂は、重要文化財に指定されています。
古い木造建築で、実物は写真で見るより迫力があります!

以下、重文指定の際の説明板がありましたので引用します。

現在の鬼子母神堂は、手前から「拝殿」・「相の間」・「本殿」の3つの建物で構成される「権現造り」。
本殿の開堂供養は寛文6年(1666)に行われたことが記録にあるが、屋根裏の束に書かれた墨書から、寛文4年に上棟されたことが判明している。
拝殿と相の間は元禄13年(1700)に建てられた。
広島藩2代目藩主浅野光晟(みつあきら)の正室満姫の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事している。
そのため、本殿の三方の妻を飾る梁や組物の彫刻には広島地方の寺社に用いられている建築様式が見られる。
拝殿は、江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴がみられる。

これらのことから、江戸時代の大名家による寺社造営の実像を示す事例であり、本殿と拝殿とで異なる特徴を持つ建造物であることから、歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され、平成28年7月25日に重要文化財に指定された。

境内の案内板より

妙見堂

雑司ヶ谷鬼子母神妙見堂
雑司ヶ谷鬼子母神 妙見堂

鬼子母神堂をぐるりと回って真裏に出ると、こちらにも小さなお堂があります。

妙見堂」です。

お堂前の石碑には「北辰(ほくしん)妙見大菩薩」と書かれています。

妙見菩薩は勝海舟親子が熱烈に信仰していたことで有名です。

ふくみみ
ふくみみ

北辰とは「北極星」のこと!

妙見堂の建物は鬼子母神堂の附(つけたり)として、合わせて重要文化財に指定されています。

妙見堂の前の石碑には下記のような記載があります。※句読点は筆者によるもの

妙見さまはまたの名を北辰菩薩・尊星王などといい、本来北斗七星を神格化したものであります。妙見さまの御利益は国土を守り、長寿延命をはじめとする除災招福とされ、またその名称の”妙見”から眼病平癒の菩薩として尊崇されています。

 そのお姿には童子像のものや国土擁護の威神力を示すための武神像のものもありますが一般には美しい天女像で、雲または亀に乗り、左手に蓮華を持ち、その蓮華の上には北斗七星が形つくられ、右手では説法印(教えを説く姿を示すもの)を作るもの、また四臂(しひ)でそれぞれの手に日輪と月輪、筆と紙を持つお姿などがあります。

 この筆と紙は妙見さまが空の星のように人びとの生活を見おろし、その善悪の生活を記録されているさまを示すものであります。
妙見信仰は本来真言宗からはじまりましたが、日蓮宗でもこの信仰は盛んで、大阪能勢の妙見さまとその別院の東京墨田区本所の妙見さま、または墨田区柳島の妙見さまなどは有名です。

 当堂に安置する尊像は天女像で亀に乗っておられます。亀に乗った妙見さまは池上本門寺妙見堂にお祀りする尊像など数多くみられますが、この亀は北の空を守る玄武神の化身とされています。当堂の尊像が何時建立されたのかは不明ですが昭和五十一年から四年間にわたって行われた鬼子母神堂の大改修の折に発見された棟札によって、この妙見堂が天明八年(一七八八年徳川十一代将軍家斉の時代で鬼子母神堂の本殿建立の一二二年後)であることが明らかになりました。

境内の石碑より
妙見堂案内石碑
妙見堂案内石碑

参道

雑司ヶ谷鬼子母神 表参道
雑司ヶ谷鬼子母神 表参道

鬼子母神堂まで続く参道が面白いです。

初めて訪れた時は、ここだけで30分もウロウロしてしまいました(笑)。

参道入口には「鬼子母神大門欅並木」と書かれた石碑があります。

雑司ヶ谷鬼子母神表参道の石碑
雑司ヶ谷鬼子母神表参道の石碑。「カフェChachat」の虎の存在感!

この欅並木の中には樹齢400年と言われる木もあり、境内の大銀杏と共に都指定天然記念物に指定されています。

鬼子母神堂は、江戸時代から子授け、安産のご利益があるとされ、多くの参詣者を集めてきました。江戸後期には、将軍の御成もあったほど大いに繁盛しました。参道には名物の大きなケヤキ並木とたくさんの茶店、料亭などが並び、参詣土産には、現在も造られている「すすきみみずく」などが売られていました。かつては大径のケヤキが多く、荘厳な風景をかもし出していましたが、現在は徐々に若いケヤキに植え替えられ、巨木は四本のみです。毎年10月に行なわれるお会式(おえしき)には万灯行列が周辺を練り歩き、往時のにぎわいを伝えています。

参道前の案内板より

参道のあちらこちらには歴史を案内する掲示がたくさん。
つい足を止めて見入ってしまいます。

かつて「高級料亭茗荷屋」跡地を示す案内板
かつて「高級料亭茗荷屋」跡地を示す案内板

参道の中ほどには「雑司ヶ谷案内所」があります。
雑司ヶ谷七福神巡りや史跡巡り、雑司ヶ谷墓地など各種マップが充実。
貴重な「すすきみみずく」のお土産もあります!

雑司ヶ谷案内所
雑司ヶ谷七福神巡りの色紙は雑司ヶ谷案内所で!

境内の大公孫樹(おおいちょう)

雑司ヶ谷鬼子母神大公孫樹
雑司ヶ谷鬼子母神大公孫樹

応永年間(1394 ~1427年)、僧正日宥により植樹されたと伝わり、樹齢700年と言われています。

昭和31年、東京都指定天然記念物に指定されています。

写真は正午頃のもの。背後から陽を浴びて輝く姿はため息が出るほど神々しく、いつまでも見ていられます。

大黒堂

雑司ヶ谷鬼子母神大黒堂
雑司ヶ谷鬼子母神大黒堂

雑司ヶ谷鬼子母神は雑司ヶ谷七福神の大黒堂を安置しています。

大黒像は本堂ではなく「大黒堂」におりますが、こちらは「茶店」にもなっているのが特徴的。
堂内では名物おせん団子を売っています。
その横で大黒さんにお参り。

雑司ヶ谷七福神のスタンプは大黒堂入口にあります!

\雑司ヶ谷七福神についてはこちら/

法不動堂

雑司ヶ谷鬼子母神法不動堂
雑司ヶ谷鬼子母神法不動堂

不動明王が祀られているお堂がひっそりとあります。法(のり)不動堂と言います。
「法」の由来は不明ですが、威光山明寺の飛地境内であるからでしょうか?
または日蓮宗「南妙蓮華経」から来たものかもしれません。

柘榴(ざくろ)

屋根に柘榴の印

鬼子母神境内には「柘榴(ざくろ)」のモチーフを見かけます。
これは鬼子母神の持ち物の一つで、魔除けと子孫繁栄の果実です。

正確には鬼子母神のもつ果実は「吉祥果」と言い、これを柘榴としたのは日本の俗説だそうです。

柘榴は人肉の味がするから鬼子母神の持ち物になった、という恐ろしい説もあります。

門石に柘榴
「御神木柘榴」石碑
「御神木柘榴」と書かれている

御会式(おえしき)

御会式参考動画

雑司ヶ谷鬼子母神御会式は、もともと日蓮聖人の忌日の法会で、江戸時代から続く伝統行事として盛大に開催される大祭です。

その特徴は、「万灯」「団扇太鼓」

高さ3〜4メートルの白い和紙の花をつけた万灯が、軽快な太鼓の響きに合わせて鬼子母神まで練り歩きます。繰り返されるリズムが儀式としての格調を高めます。
地元の人が操る(まとい)遣いも素敵です!

毎年10月16日から18日にかけて行なわれ、各日でルートが違います。

特に17日には、鬼子母神像が出土したと言われる「清土鬼子母神」から、鬼子母神堂までを練り歩くとのことで、鬼子母神の由来を辿るような心持ちがして胸が熱くなります。

一度は生で見たい大祭のひとつです!

公式ページ

すすきみみずく

昔むかし、貧しくて病気の母親の薬も買えなかった娘が鬼子母神に祈願したところ、夢の中に蝶が飛んできて「ススキの穂でみみずくを作り参道で売るように」とのお告げがありました。
その通りにしたところみみずくは飛ぶように売れ、めでたく母親の病気を治すことが出来たとのこと。

この“すすきみみずく”は江戸時代に大流行りし、江戸時代の絵画資料にも子供が嬉しそうに持っている姿が描かれています。

ですが今では作り手がいなくなり、「保存会」が発足され、その作品は雑司ヶ谷案内所でお土産として売られています。

保存会立ち上げのいきさつについては下記の記事に詳しく取材されていますのでご紹介させていただきます。

おわりに

正直、雑司ヶ谷鬼子母神は名前を聞いたことがある程度の名所として「大したことないのだろう」と思っていました。

ですが訪れてみると興味をひくもののオンパレード!
ただ境内を歩くだけでも気になるスポットが目白押し。
さらに逸話を深掘りしても面白い。

ふくみみが訪れたのは「雑司ヶ谷七福神巡り」の一つであったからなのですが、また何度でも来たい、10月の御会式にも絶対に来よう、と思ってしまいました。

すっかり鬼子母神さんに魅せられています。

一字一石妙経塔
一字一石妙経塔
ブンブク茶釜
ブンブク茶釜
雑司ヶ谷鬼子母神力石
力石
竹本文字太夫の墓
竹本文字太夫の墓

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