理性寺は、京王井の頭線の西永福駅前の商店街にあり、店の間に突然ある印象です。
山門は少し奥まったところにあり、そこまでの道は童謡「通りゃんせ」を思いおこさせる世界でした。
「行きは良い良い、帰りは・・・」何かありそうな雰囲気にワクワクして足を踏み入れてみました。
理性寺の基本情報
名称 | 法真山 法華宗陣門流 理性寺 |
住所 | 〒168-0064 東京都杉並区永福3丁目56−29 |
電話番号 | 03-3321-2928 |
最寄駅 | 京王井の頭線西永福駅 |
ご本尊 | 十界諸尊の曼荼羅 |
御由緒
当寺は法華宗法真山理性寺といい、本尊は十界諸尊の曼荼羅です。
『御府内備考続編』によれば、当寺は承応三年(1654)、大久保越中守忠辰、忠陰兄弟が両親の忠当夫妻を開基として、その菩提のために創立したものです。
寺名は、夫妻の法名、法真院殿・理性院殿に因んで法真山理性寺としました。
創立にあたっては、内藤新宿四谷大木戸(現新宿区新宿一丁目付近)に、大久保家下屋敷の名義をもって草創し、後に老中久世大和守広之の許可により、境内地として使用することになったと伝えられています。
現在地に移転したのは大正三年(1914)です。
理性寺山門前案内板より
大久保忠当は戦国武将大久保忠直の子で、江戸初期の旗本です。
徳川秀忠に仕え、大阪両陣にも出陣したとのこと。随分活躍した人物のようです。
若く34歳で没し、二人の息子が弔うために理性寺を創立。
江戸時代には今では考えられない忠義心があったでしょうから、寺を建ててしまうなど想像に尽くせません。
ご本尊「十界諸尊の曼荼羅」
理性寺のご本尊は「十界諸尊の曼荼羅」とされています。
「十界」とは、人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界・声聞・縁覚・菩薩・仏のことです。
「十界諸尊の曼荼羅」とは、法華経の世界を図や名号などで表したものになります。
火伏せの大黒天
理性寺では「火伏せの大黒天」という大黒天像が安置されています。
大黒天像の御由緒については、理性寺の案内板を引用させていただきます。
当寺に安置し奉る大黒尊天御像は日蓮大聖人自ら御枕木を以って「経」の字をかたとり彫刻あそばされた尊き御像であります。
この大黒尊天には「貧しきものには福を、病人には薬をあたえ、無知の者は知者に、短命の者は長命に、悪心の者は善心となす」という御誓願があり深く信ずる者は「現世安穏。福裕自在。来世成仏。得脱疑無し」と教えられております。
昔、四谷大木戸にあった当寺も大黒尊天安置以後は一度も火災にかかることなく世の人は開運火伏の大黒天として尊学したのであります。
当寺におきましては毎甲子(キノエネ)の日に大祭を修行しております。
是非御参詣の上福徳開運をお祈り下さい。
理性寺 大黒天案内板より
火伏せの大黒天は「大黒寶殿」に安置され、少し空いた隙間から拝むことができました。
小さいので、よくは見えませんでしたが、黒々と光っておりました。
境内に鰐口の音が響くと、敬虔な気持ちになりました。
鰐口をたたいて大黒天様に手を合わせ、福得を祈願しましょう
著名廟墓
理性寺案内板に、著名な方の墓が明記されていました。
たくさんの貴重な著名人が眠っておられます。
当山開基三世大久保家法真院殿理性院殿並に累代の墓
家康公側室お萬の方の生家房州里見八勇士の一つ
正木家累代の墓(お萬の方の法名刻記あり)
大黒尊像寄進者御殿医、木村検校の墓
幕府医官、林恒斉の墓
近世長唄の巨匠初代杵屋三五郎の墓並びに線塚。
戯作者、伊庭可笑の墓。
種痘の創始者、安藤文沢の墓。
理性寺 案内板より
おわりに
理性寺は、商店街のど真ん中にあるわりに、「地元に溶け込む」というよりは「そこだけぽっかり異空間」といった印象でした。
境内は整備され、立派な墓地があり、檀家さんが大事にされておられるようです。
年に一度、甲子祭が行われるということで、その日は地元の人々で賑わうのでしょう。
創立の経緯も独特で不思議なお寺でした。
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