新宿歌舞伎町の一番ディープな界隈の片隅に突如として現れるパワースポットがあります。
「稲荷鬼王神社」です。
鎮守の杜と自称するように、境内の周囲は木々で囲まれ、外から護られた聖域になっています。
名前に冠する「鬼王」にまつわる御由緒には多くの謎を含みます。
熊野の鬼王権現を勧請したと言われていますが、熊野に「鬼王権現」は現存せず、かつて存在があったかどうかも不明。
さらに平将門伝説にも関わりがあるとされていますが、こちらも確かな論拠がない都市伝説となっています。
神社自身も「不思議がいっぱい」というキャッチコピーを使うほど、たくさんの逸話を含む稲荷鬼王神社、どうぞお楽しみ下さい!
稲荷鬼王神社の基本情報
名称 | 稲荷鬼王神社 |
住所 | 〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町2丁目17−14 |
電話番号 | 03-3200-2904 |
最寄駅 | 東京メトロ副都心線・都営大江戸線東新宿駅、西武新宿線・JR山手線・JR中央線・JR埼京線新宿駅、東京メトロ丸の内線・副都心線新宿三丁目駅 |
拝観時間 | 9:00〜17:00 |
ご祭神 | 宇迦之御魂神(稲荷神)、鬼王権現、恵比寿神 |
文化財 | 水鉢 |
稲荷鬼王神社のご祭神は鬼王権現?平将門?
稲荷鬼王神社でお祀りされているのは「鬼王権現」とされています。
鬼王権現とは、月読命・大物主神・手力男命の三神のことです。
大久保村の百姓、田中清右衛門が熊野の鬼王権現を勧請し、この土地にあった稲荷神社と合祀しました。
「鬼王」の名前をもつ神社は日本全国で稲荷鬼王神社だけ、と言われておりますが、熊本に「鬼王(おにおう)神社」というのがあります。
こちらは「鬼の王」の意味ではなく、「鬼王(おにおう)地区」という地名なので、鬼の王を祀る神社という意味では日本唯一と言っていいようです。
また、川崎に「厄神鬼王」を祀る千蔵寺というお寺がありますが、神社はここだけでしょう。
ところが・・・ご住職の話によると、ご祭神が鬼王権現というのは、明治時代以降に得られるご利益をたどって神社が定めたとのこと。するとそれまはなんだったのでしょうか?伝えられるご由緒と矛盾が生じます。
そもそも「鬼」を信仰対象として祀るというのは一般的ではなく、元々この地には福瑳稲荷があったわけですから、鬼王権現を合祀するというのも無理矢理な印象があります。
一説には、「平将門」が関係しているという噂があります。
将門の幼名は「鬼王丸」といいました。
明治以前、将門は庶民のヒーローとして人気がありました。菅原道真同様、神格化され各神社でお祀りされておりました。
ところが明治以降、将門は朝敵とされ、政府の命で神社の祭神から外されたり史蹟が破壊されたりしました。
そのため神社では「こっそり」将門をお祀りしている、というところも多いのです。
稲荷鬼王神社が元々将門をお祀りしていた神社の一つであったかどうかは定かではありません。
が、将門ファンからはまことしやかに、稲荷鬼王神社が将門由縁の神社であると噂されています。
将門関連の神社をつなぐ平将門魔方陣(将門にまつわる神社と大手町にある首塚をつなぐと北斗七星の形になるという)にも、稲荷鬼王神社が入っています!
稲荷鬼王神社の境内
稲荷鬼王神社の境内は、新宿歌舞伎町のど真ん中、雑居ビルの狭間にあるのでそれほど敷地は広くありません。
けれども、縁日には出店が並んだり、即席掲示板が立てられて資料展示がされたりと、空間をうまく使っていらっしゃいます。
鬼の手水鉢(新宿区指定文化財)
鬼の手水鉢とはなんぞや?といいますと、側に案内板があり、以下のように書かれています。
文政年間(1818〜1829)の頃制作されたもので、うずくまった姿の鬼の頭上に水鉢を乗せた珍しい様式で、区内に存在する水鉢の中でも特筆すべきものである。
水鉢の左脇には、区内の旗本屋敷にまつわる伝説を記した石碑があり、これによると、
「この水鉢は文政の頃より加賀美某の邸内にあったが、毎夜井戸で水を浴びるような音がするので、ある夜刀で切りつけた。その後家人に病災が頻繁に起こったので、天保4年(1833)当社に寄進された。
台石の鬼の肩辺にはその時の刀の痕跡が残っている。・・・・・・」とある。この水鉢は、高さ1メートル余、安山岩でできている。
稲荷鬼王神社の案内板より
「区内の旗本屋敷にまつわる伝説を記した石碑」とは、これのこと。
手水鉢を傷つけた刀の名前はのちに「鬼切丸」と呼ばれるようになりました。手水鉢と一緒に奉納されましたが盗まれたらしく、今は行方不明になっているとのことです。
また、神社に奉納された水鉢は夜になると「痛い、熱い」とうめき声を上げたため、神社の氏子さんや宮司が水をかけ、介抱してやると、近隣の子どもたちの体調や悩みが良くなるという不思議な効果があらわれはじめたとのことです(出典:https://omatsurijapan.com/blog/inarikiojinja/)。
鬼が手水鉢を支えるという形態については、各地で見られるものですがほとんどが四隅に一体ずつ、計4体の小鬼で一つの手水鉢を支えるものが多いようです。
鬼王神社の手水鉢のように一体の鬼が支えるものは珍しい!
どちらかというと「力神」に近いように思われます。
力神は両肩で建物の梁を支えたりしています。
が、力神としたらここまではっきり鬼の姿をしているものも珍しい(天邪鬼の例はありますが)ようです。
鬼さんがとっても頑張っている姿がだんだんいじらしく、愛おしく見えてきます。
そんな「鬼の手水鉢」は、非常に分かりづらいところにあり、大鳥居の左手の柵内に鎮座しています。
三島神社(開運恵比寿神社)
三島神社の御祭神は事代主命(恵比寿神)とされます。
文化年間(1804〜1818)に松平出雲守邸内より出現したもので、松平家の祈願所の「二尊院」に奉納。
この二尊院が稲荷鬼王神社の別当寺(神仏習合により神社を管理するために置かれた寺)であったことから、二尊院が火災の際に恵比寿神が鬼王神社に遷されたとのことです。
三島神社の鳥居の上には恵比寿さまの福財を積まれた恵比寿船が安置されています。
鳥居をくぐるときに下記の言葉を唱えてくぐるとご利益があるとのことです。
”うみやまの 数のたからの大久保の 恵比寿おおかみ まもりたまえや”
これは、二尊院に伝わっていたご神歌とのことです。
恵比寿神社の水琴窟
三島神社の敷地内には「水琴窟」があります。
神社が設置された案内板には下記のように書かれています。
この水琴窟は平成16年3月に稲荷鬼王神社第十六代宮司に大久保直倫氏が就任しこれを祝い氏子が恵比寿神社参道にある手水に水琴窟師田村光氏に依頼し、恵比寿神社の御鈴として建設いたしました。埋蔵されている甕は常滑焼です。
三島神社水琴窟の案内板より
(稲荷鬼王神社拝殿脇の天水琴の甕は石州甕です。)
本来は手水鉢の水を柄杓ですくい少しずつ水を掛けて美しい音色を楽しむものなのですが、新型コロナウイルスの影響で柄杓を撤去し水をかけることが出来なくなりました。
しかし多くの方々に地中から弦を弾く様な、微かな響きを楽しんで頂きたく、水を掛けなくても聞こえる様に神社で工夫いたしました。
雨天時や雨天時の翌日は聞こえない事がありますが、それ以外の日は滴が作り出す、可憐で、聞くたびに不規則に変化する余韻が耳の奥にしみこみ人の心を包み込みます。
水をかけず、竹筒に耳を近づけて聞いてみて下さい。
三島神社水琴窟の案内板より
神社の心遣いが素晴らしいですね!
浅間神社
鬼王神社の本堂の後方に二つの富士塚があります。
元々は一つであったのですが、社殿再建の際に二つに別れてしまいました。
参道を通ることそのものが富士の胎内に通じるということで、富士山に籠ってお参りすることと同義とされるそうです。
こちら側の鳥居の脇には「浅間神社」と書かれた石が置かれています。
「浅間神社」は富士山信仰の神社です。
明治以前まで境内に祀られていましたが、明治27年に鬼王神社に合祀されたとのこと。
富士塚は自然の岩ではなく庭師や植木師の協力のもと全国から取り寄せられた岩でできているとのことです。
鎮守の杜のまちかど博物館
社務所の横に、昭和の映画ポスターが貼られた掲示板があります。
「鎮守の杜のまちかど博物館」と書かれています。
大正時代から戦中にかけて、稲荷鬼王神社の境内の隣接地に、「大久保館」という映画館があったことにちなみ、貴重な映画資料や昭和の時代資料の展示などが行われるそうです。
毎年9月18日の稲荷鬼王神社例大祭では、境内に仮設掲示板が設置され、資料の展示が行われるとのこと。
新宿歌舞伎町らしく、芸能と遊び心が満載で粋な神社だなあと思いました!
眼球食鬼
本堂の裏手に突如新しい石像が!
「眼球食鬼」というタイトルが刻まれています。
何やら恐ろしげですが、続いてこう書かれています。
”人ノ眼ヲ浄化シ
人ノ眼ヲ平癒シ
人ノ眼ヲ救済スル”
足は戦車のキャタピラーのようで、背中にカタツムリの殻を乗せており、鬼の顔で眼球を食べています。
この眼球は人に悪さをする眼球なのかもしれません。
ふくみみの眼も良くなるかもしれない・・・ということで手を合わせさせていただきました。
べったら祭り
稲荷鬼王神社では、毎年10月に「べったら祭り」が行われます。
正式には「恵比寿祭り」といいます。
昔から鬼王神社では開運・商売繁盛の神様、恵比寿様のお祭りで漬物の「べったら」を買うと「べったら」の粘りが金運を授け、食べ物を口にすると幸せがお腹に貯まり、衣類をもとめると福が身につき、鉢植えの花を買うと幸福が根付く、と言われてきました。その故事にちなみ、べったら屋(漬物屋)・露天・バザーの出店があります。
稲荷鬼王神社案内板より
「べったら漬け」とは、大根を砂糖・米・米麹で漬けた漬物のことです。
麹で表面がベトベトするので「べったら漬け」と呼ぶようになりました。
はじまりは江戸時代、日本橋の宝田恵比寿神社例祭でえびす講により売られていたとのことです。
宝田恵比寿神社のえびす講べったら市は今も行われ、毎年大賑わいです。
「えびす講」とは、神無月(10月)に神様の不在を留守番する恵比寿さまのために、人々が盛大にお祭りをするもの。
ご存じのとおり、神無月には日本中の神様が出雲に集まるため、出雲以外では神様不在になってしまいます。
そこで恵比寿さまだけは出雲に行かずに留守を護ってくださるのです。
もし10月が平穏無事に過ごせたのなら、それは恵比寿さまのおかげかもしれませんね!
えびす講は10月20日に開催されることが多く、「二十日恵比寿(はつかえびす)」とも呼ばれます。
鬼王神社では毎年10月19日〜20日に開催されます!
豆腐断ち・撫守り
「豆腐断ち」とは、江戸時代から流行した稲荷鬼王神社独自の風習です。
昔から「断ち物」という祈願法があり、なくてはならないものを断つ苦行をすることで祈願成就を願うものです。
例えば拷問でも使われた「塩断ち」や修験者が行う「五穀断ち」などがあります。
現代でも酒断ちや甘いもの断ちなど、何かを強く願う代わりに好きなものを断つ「願掛け」をしますよね。それと同じようなものです。
ちなみに「塩断ち」は相当キツイらしいです・・・。
口にするすべてのものから塩分がなくなった時を想像してみてください。
延々と続く淡白な味の地獄・・・確かに、拷問です(汗)。
稲荷鬼王神社の「豆腐断ち」は皮膚の病に特効があると言われています。
江戸の人は言葉を大事にしたので、「豆腐」が「痘負」と重なって信仰が生まれたようです。
鬼王神社でいただいた「撫守り」で患部を撫で、完治するまで豆腐を断てばご利益があると言われています。
稲荷鬼王神社のスダジイ
最後に、おまけと言っては失礼ですが、Googleマップを眺めていて「ん!?」というものを発見。
「稲荷鬼王神社のスダジイ」!?
これは何でしょう!?ノーチェックでした!
調べてみると、こちらは戦争の被害を残す樹木として新宿区保護樹林に指定されているものでした。
「スダジイ」とはブナ科シイ属の樹木です。
第二次世界大戦の際の空襲被害に遭い、その悲惨な爪痕を残しています。
そんな重要な資料に全く気づかず素通り・・・残された写真を凝視し、かろうじて移り込んでいるものを確認できました!
被災の爪痕は後ろから見るとよくわかるようです。
みなさんは見逃さないでくださいね!!!
おわりに
稲荷鬼王神社は不夜城・新宿歌舞伎町のディープ区域にあり、名前も特徴的なので「鬼伝説」があるのではないかと思い探しましたが見つかりませんでした。
ですが創建の説話には謎が多く残されていますし、鬼王権現の正体もよく分かりません。
でも、それが逆に、さまざまな人がさまざまな事情を抱えて集う歌舞伎町にある神社らしいなあ、とも思います。
代々神社を守る「大久保家」も謎の一族です。
小説のネタになりそうです。
もしかしたら鬼の末裔かも・・・なんて(笑)。
想像の広がる不思議な神社にぜひお出かけください。
\新宿山ノ手七福神巡りもおすすめ!/
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